2007年02月
朝6時。ようやく2本目の点滴が終わる。もう一本と思っていたら、「もう終わりですよ。さあ、管も外しますから歩いてみましょうか!」
さて、ベッドから起き上がろうとする。出来ない。
「皆、こうするんですか?」ときくと、「皆さんがんばっておきますよ!」とのこと。
歯を食いしばって起きる。ようやく出来た。「じゃあ、トイレまで行きましょうか?」歩行器を使ってトイレまで歩く。今まで痛かった痛みが消えている!さすが!手術は成功である。
この日は4回くらい起きて歩行訓練。あしたからどんどん歩いていいとのこと。
PS)”尿の管”だけは勘弁してして欲しいと、看護士に哀願していたが、”ダメ!”とのこと。装着は麻酔の後なのでどうってことないが、抜かれる時の恐怖ときたら。同年位の看護士に一気に抜かれましたが、思わず”うぁっ!!”っと悲鳴に近いものをあげてしまいました。どのブロック注射より痛かったように思われます。
さて、ベッドから起き上がろうとする。出来ない。
「皆、こうするんですか?」ときくと、「皆さんがんばっておきますよ!」とのこと。
歯を食いしばって起きる。ようやく出来た。「じゃあ、トイレまで行きましょうか?」歩行器を使ってトイレまで歩く。今まで痛かった痛みが消えている!さすが!手術は成功である。
この日は4回くらい起きて歩行訓練。あしたからどんどん歩いていいとのこと。
PS)”尿の管”だけは勘弁してして欲しいと、看護士に哀願していたが、”ダメ!”とのこと。装着は麻酔の後なのでどうってことないが、抜かれる時の恐怖ときたら。同年位の看護士に一気に抜かれましたが、思わず”うぁっ!!”っと悲鳴に近いものをあげてしまいました。どのブロック注射より痛かったように思われます。
朝から絶食。7時には点滴が始まる。11時過ぎ、執刀医である院長から手術の説明があった。馬尾神経に触るので、下手をすると神経を傷つけ、そうなると縫合などの処置があるため手術時間は4〜5時間、何事もなくうまくうけば1時間で終わるとのこと。(今までそういう例はににはないらしいが。)
午後1時半、車椅子で手術室へ。入り口でT字帯をはめあとは裸。エアーシャワーを浴び、手術室へ。看護師が4〜5人で準備をしている。「松元さん、BGMは何がいいですか?」急にいわれても考えつかないので「何でもいいですよ」ということで、長渕剛に。後は看護師と冗談などいいながら先生の到着を待つ。あたりを見回すと隣に黒くて幅のせまいベッドがもうひとつ。「これに移すのですか?」ときくと「そうですよ。麻酔をかけてから皆でひっくり返すのですよ〜。」てなこと。「重いから落とさないでね」とお願い。
先生が来られてからすぐにマスクから麻酔をかけられる。「強く吸ってください。」といわれ、そのとおりするとものの3回くらいで深い眠りに。
気がついたら、手術室の入り口。看護師が「松元さ〜ん」と呼んでいる。”あ、もう終わったんだ”という感じ。
手術は無事1時間程度ですんだらしい。午後4時前には個室へ。一晩はきついときいていた。これから翌朝までがんばろうと思う。体には点滴と尿の管、手術個所から血抜きの管が、両足は血栓防止のためのマッサージ器が。
看護師に「絶対に一人で寝返りをしないでください。」と注意を受ける。術後何がつらいといえば、寝返りができないことが辛い。横向きにしか寝れないので、肩や骨盤の横の筋が圧迫を受けて痛くなってくる。頻繁に看護師を呼んで向きを変えればいいだろうが、たった二人で「よいしょっ!」っと、大男の向きを変えるのも大仕事である。そう頻繁に呼ぶわけにもいかないので、1〜2時間我慢する。ただひたすら時間が過ぎ去るのを待つしかない。
点滴が午前6時終了。これで少しは楽になれる。
午後1時半、車椅子で手術室へ。入り口でT字帯をはめあとは裸。エアーシャワーを浴び、手術室へ。看護師が4〜5人で準備をしている。「松元さん、BGMは何がいいですか?」急にいわれても考えつかないので「何でもいいですよ」ということで、長渕剛に。後は看護師と冗談などいいながら先生の到着を待つ。あたりを見回すと隣に黒くて幅のせまいベッドがもうひとつ。「これに移すのですか?」ときくと「そうですよ。麻酔をかけてから皆でひっくり返すのですよ〜。」てなこと。「重いから落とさないでね」とお願い。
先生が来られてからすぐにマスクから麻酔をかけられる。「強く吸ってください。」といわれ、そのとおりするとものの3回くらいで深い眠りに。
気がついたら、手術室の入り口。看護師が「松元さ〜ん」と呼んでいる。”あ、もう終わったんだ”という感じ。
手術は無事1時間程度ですんだらしい。午後4時前には個室へ。一晩はきついときいていた。これから翌朝までがんばろうと思う。体には点滴と尿の管、手術個所から血抜きの管が、両足は血栓防止のためのマッサージ器が。
看護師に「絶対に一人で寝返りをしないでください。」と注意を受ける。術後何がつらいといえば、寝返りができないことが辛い。横向きにしか寝れないので、肩や骨盤の横の筋が圧迫を受けて痛くなってくる。頻繁に看護師を呼んで向きを変えればいいだろうが、たった二人で「よいしょっ!」っと、大男の向きを変えるのも大仕事である。そう頻繁に呼ぶわけにもいかないので、1〜2時間我慢する。ただひたすら時間が過ぎ去るのを待つしかない。
点滴が午前6時終了。これで少しは楽になれる。
朝11時前、もう今日は注射はないだろうと思っていたら、突然看護婦が。レントゲン室に運ばれる。
先生を待つこと40分。看護師たちが”頑張りましょうね”とかいうものだから、”相当痛いのだな”と覚悟する。レントゲンのモニターをみながら神経を目指して針を刺す。神経の手前までは私も見ていたが、いよいよ神経にというところで、激痛に備え、顔を伏せた。
先生が「神経にピリッときますから、そのときは教えてください」とのことであったが、それほど痛くはなかった。
注射の後、確認のため先生が足を持ち上げる。今までは20度位で痛みが走ったが、90度くらいまで持ち上げることができる。「やはり原因はこれです」無事終了してほっと一安心。
午後から宮崎の佐藤先生が見舞いにこられる。先生も昨年9月手術をされたヘルニアの先輩である。先生は術後リハビリをがんばりすぎてまた再発し、再度手術の予定らしい。お気の毒に・・。
先生を待つこと40分。看護師たちが”頑張りましょうね”とかいうものだから、”相当痛いのだな”と覚悟する。レントゲンのモニターをみながら神経を目指して針を刺す。神経の手前までは私も見ていたが、いよいよ神経にというところで、激痛に備え、顔を伏せた。
先生が「神経にピリッときますから、そのときは教えてください」とのことであったが、それほど痛くはなかった。
注射の後、確認のため先生が足を持ち上げる。今までは20度位で痛みが走ったが、90度くらいまで持ち上げることができる。「やはり原因はこれです」無事終了してほっと一安心。
午後から宮崎の佐藤先生が見舞いにこられる。先生も昨年9月手術をされたヘルニアの先輩である。先生は術後リハビリをがんばりすぎてまた再発し、再度手術の予定らしい。お気の毒に・・。
「一夜官女」(司馬遼太郎著)
毎晩、就寝後2〜3時間すると、激痛が襲いしばらくは眠れない。
どうせ眠れないんだったら読書をということで、夜中に一編づつ読んだ司馬遼太郎の短編集。面白かったです!
いよいよ明日からまた入院生活。
毎晩、就寝後2〜3時間すると、激痛が襲いしばらくは眠れない。
どうせ眠れないんだったら読書をということで、夜中に一編づつ読んだ司馬遼太郎の短編集。面白かったです!
いよいよ明日からまた入院生活。
前の病院は一旦退院して、現在自宅療養中です。
13日に別の病院に再入院し、21日手術が決まりました。
詳しくは後日報告します。退院は3月上旬でしょうか?
13日に別の病院に再入院し、21日手術が決まりました。
詳しくは後日報告します。退院は3月上旬でしょうか?
予約を入れていた肝付町にある、春陽会中央病院にて再検査。
当初は県外の有名病院も視野に入れていたが、灯台下暗し、何とヘルニア手術では評判の高い病院が隣町にあったのだ。院長が整形外科の専門で、ネットで調べてみると手術数では県下No1。県外からの患者も多いという。
持参したMRI写真と診察で、すぐさま院長から「あ、これは手術をしないと回復は難しいですね。」といわれる。しかもヘルニアの脱出は今回のので3回目らしい。記憶をたどると1回目は04年のサンフランシスコで、2回目は05年の正月寒稽古だと思う。今回のくしゃみで致命的なヘルニアになったのだ。
病院側と相談し、2月13日入院、2月21日手術と決定。手術が決まっただけでも気が楽になりました。
当初は県外の有名病院も視野に入れていたが、灯台下暗し、何とヘルニア手術では評判の高い病院が隣町にあったのだ。院長が整形外科の専門で、ネットで調べてみると手術数では県下No1。県外からの患者も多いという。
持参したMRI写真と診察で、すぐさま院長から「あ、これは手術をしないと回復は難しいですね。」といわれる。しかもヘルニアの脱出は今回のので3回目らしい。記憶をたどると1回目は04年のサンフランシスコで、2回目は05年の正月寒稽古だと思う。今回のくしゃみで致命的なヘルニアになったのだ。
病院側と相談し、2月13日入院、2月21日手術と決定。手術が決まっただけでも気が楽になりました。
昨日2回目のブロック注射をしたが効き目なし。まだ50mも歩けない。歩くと次第に左下肢に痛みが生じる。
ところが主治医に、「松元さんぼちぼち自宅療養に切り替えたら?」とすすめられる。???
入院して3週間近く経ち、ほとんど改善がみられない。手術の有無を聞いても、そこまでは必要ないといわれる。
しかし自分の感覚では、社会復帰、空手までとは言わなくても、せめて仕事復帰は一日も早くしたい。それには手術なしでは出来ないような気がしてならない。
これを機会に”病院を替えよう”と決心。以前からヘルニアの病院、先輩方にきいたり、先日一時帰宅したときに自分でネットで調べたりしていたので、この病院は出ることに決める。
「疾走12年、アサノ知事の改革白書」(浅野史郎著)読破
ところが主治医に、「松元さんぼちぼち自宅療養に切り替えたら?」とすすめられる。???
入院して3週間近く経ち、ほとんど改善がみられない。手術の有無を聞いても、そこまでは必要ないといわれる。
しかし自分の感覚では、社会復帰、空手までとは言わなくても、せめて仕事復帰は一日も早くしたい。それには手術なしでは出来ないような気がしてならない。
これを機会に”病院を替えよう”と決心。以前からヘルニアの病院、先輩方にきいたり、先日一時帰宅したときに自分でネットで調べたりしていたので、この病院は出ることに決める。
「疾走12年、アサノ知事の改革白書」(浅野史郎著)読破
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